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2022/2/10

【任天堂の歴史】ゲーム機の開発前や世界的な人気を得た理由

今の子どもたちはもちろん、幅広い世代に任天堂のゲームは愛され、世界的にも人気があります。しかし、任天堂はどのような歴史を経て、世界的な人気を獲得したのでしょうか。

任天堂の歴史や、特に人気があるゲーム機はどんなものがあるのか見てみましょう。また、任天堂のゲーム機を片付けることで、社会貢献につながる方法もご紹介します。

任天堂の歴史!世界的な人気を獲得するまで

それでは、任天堂の歴史をたどってみましょう。任天堂がゲーム機に携わる前から現在に至るまで、どのような歴史があるのでしょうか。

最初は花札を作っていた

任天堂は1889年に、任天堂骨牌(山内房治郎商店)として創業しました。もちろん、この時期にゲーム機というものは存在していません。実はこのとき、任天堂は「花札」や「かるた」の製造を行っていました。意外かもしれませんが、1902年に日本で初めてトランプを製造した企業も任天堂で、1959年に発売したディズニートランプも大ヒットしています。

その後、タクシー事業に参入、インスタントライスの開発、簡易コピー機「コピラス」を発売するなど、経営は多角化。1963年からは、花札とトランプを主力としつつ、囲碁や将棋、麻雀牌など伝統的なボードゲームの販売も開始します。1966年、ウルトラハンドを始めとする、室内玩具を次々と発売し、カード類からの脱却が進みました。

さらに、従来にないおもちゃの遊び方を追求したことで、任天堂はエレクトロニクス技術の探求を始めます。それにより、1969年に男女の愛情度を測定する大人向けおもちゃ「ラブテスター」、1970年に「光線銃SP」、1971年に光で音声通話が楽しめる「光線電話LT」などが次々と登場。特に「光線銃SP」は大ヒットし、そのエレクトロニクス技術で多くの人を驚かせました。

ゲーム業界に進出

1973年、「光線銃SP」の技術を活かし、任天堂は、大型レジャー施設「レーザークレー射撃システム」をボウリングブームの去った跡地にオープンします。これは注目を集め、出だしも好調でしたが、第一次オイルショックにより、展開に失敗。

経営が傾くほどの大打撃を受けますが、このときに得た技術や販売ルートは後のアーケード事業の展開に活かされることになりました。経済が安定を取り戻すことで、再びレジャー産業に日が当たると考えた任天堂は「ワイルドガンマン」「バトルシャーク」「スカイホーク」といったガンゲームを発売します。

そして、1981年に発売したドンキーコングが日本とアメリカで大ヒットします。ゲームの内容は、ドンキーコングに捕らわれたレディをマリオが救い出す、というアクションゲーム。当時、シンプルなステージを繰り返すことが多かったゲームの中で、ストーリー性を持たせることは斬新なことでした。また、後に大人気キャラクターとなるマリオも、このとき初めて登場しています。

1982年には続編の「ドンキーコングJR」や「マリオブラザーズ」といったタイトルが登場し、ゲームセンターで大人気になります。しかし、1985年から任天堂はアーケード事業を急速に縮小します。それは家庭用テレビゲームに専念するための判断でした。

任天堂初の家庭用テレビゲーム機は、1977年に「カラーテレビゲーム6」と「カラーテレビゲーム15」です。これは、1万台売ればヒットと言われた時代にもかかわらず、合わせて100万台以上を売り上げています。さらに1978年の「レーシング112」、1979年の「ブロック崩し」を発売。そして、1981年に「ファミリーコンピューター」が発売され、またも大ヒットします。

このファミリーコンピューター、通称「ファミコン」が大ヒットした理由はいくつかありました。手軽に買える価格設定。多彩なソフトを発売し、新しい遊びを提供する。ゲームをプレイする本人以外も見ているだけで楽しめる映像表現など。こういった要素により、アメリカやカナダ、ヨーロッパのEC加盟諸国(当時)、オーストラリア、韓国など、日本以外の国々でもファミコンは大ヒットすることになります。

次々と成功する後継機

1990年には、ファミコンの後継機となるスーパーファミコンを発売。優れたグラフィックと生演奏に近いリアルな音楽を実現し、当時の人々を驚かせるものでした。

それから、1995年に「NINTENDO64」が登場。2001年には「ゲームキューブ」。2004年の「Wii」。2012年の「Wii U」も登場します。さらに、2017年に発売された「Nintendo Switch」は「携帯型ゲーム機としての利用もできる据置型ゲーム機」というコンセプトで、多くの人に衝撃を与えました。

任天堂の歴史を彩るゲーム機

任天堂が発売したゲーム機の中でも、特に人気があったものをご紹介します。

ファミリーコンピューター

1983年の7月15日に発売されたファミリーコンピューター。略称ファミコンのヒットは、任天堂のその後を決定するような大ヒットを生み出した商品です。

ファミコンは、携帯型液晶ゲーム機「ゲーム&ウオッチ」の事業に成功した任天堂が、その利益をすべて投入して開発されました。当時、アーケードゲームで人気があったドンキーコングが家庭でも楽しめる、という性能を目標に開発されましたが、多くの人々を楽しませ続けるゲーム機となりました。

スーパーファミコン

1990年、ファミコンの後継機としてスーパーファミコンが登場。略称はスーファミ。16ビットCPUの搭載、32768色から選択可能な16色のカラーパレット、ソニーのDSPによるPCM音源の採用など、カタログスペックは同時代では最高のものが揃えられています。海外でも大ヒットし、ファミコンに続き、最多出荷台数を記録しました。

NINTENDO64

1996年、スーパーファミコンの後継、次世代機種として「NINTENDO64」が登場。第5世代と呼ばれるゲーム機の中では、最も後発ですが、64ビットCPU・パースペクティブ補正・Zバッファという高スペックです。他の機種よりも3Dポリゴンの演算能力が高く、高性能を誇ります。

ニンテンドーゲームキューブ

2001年、ニンテンドーゲームキューブが発売。略称はゲームキューブ、キューブなど。任天堂のゲーム機として初めて標準ソフトウェア供給媒体として、光ディスクを採用しています。NINTENDO64であった反省を踏まえ、瞬間最大性能の高さよりも、安定的な高性能を発揮させるゲーム機となりました。

Wii

2006年に発売された、「Wii(ウィー)」は無線通信で接続されるコントローラーによる直感的な操作、独自のインターネットを利用した日常生活に役立つコンテンツといった機能が特徴です。ゲーム市場が次第に減少している中、ゲーム操作の高度化に歯止めをかけるため、ユーザーインターフェイスを改良し、普段ゲームをしないユーザーにも興味を持ってもらうことが目標でした。

後続機として「Wii U」も2012年に登場。液晶ディスプレイを搭載したコントローラーは、テレビと2画面、もしくはコントローラー画面のみでゲームをプレイできました。

Nintendo Switch

2017年に発売された「Nintendo Switch(ニンテンドースイッチ)」は、持ち出せる家庭用据置型ゲーム機というコンセプトがありました。

TVモード、テーブルモード、携帯モードの3つで遊べることが特徴で、テレビの大画面でプレイ、タブレットのような本体をスタンドで立ててプレイ、コントローラーを本体に接続して携帯型ゲーム機としてプレイ、と遊び方を選択できます。任天堂のファン層はもちろん、今までゲームに触れてこなかった層も取り込み、一時は品薄状態が続くほど大ヒットとなりました。

任天堂のゲーム機を片付けたら社会貢献に?

歴史ある任天堂のゲームですが、何かのタイミングで片付ける機会があるかもしれません。そんなとき、ただ捨ててしまうことは「もったいない」と思ってしまいますよね。もし、任天堂のゲームをただ捨ててしまうことに抵抗がある場合は「もったいない運送」のご利用を検討してみてください。

「もったいない運送」は、不用品をリサイクルやリユースに役立てるだけでなく、4つの社会貢献につなげます。4つの社会貢献とは、売上の一部で水を綺麗にする浄化剤を購入して途上国に寄付、障がい者の雇用創出、途上国の自立支援、環境保全です。

不用品だからと言って捨ててしまうことはもったいない。途上国や環境問題に興味がある。そういった場合は「もったいない運送」のサービス内容だけでも確認してみてください。

 

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